石部元朗 石部歯科医院 院長

石部 元朗 石部歯科医院 院長 補綴専門医
ワシントン大学歯学部大学院 補綴専門医課程 2009年卒

−   先生が留学された時期は、歯科医師となって何年目でしたか?

  • 日本大学歯学部を卒業してから最初に口腔外科、その後、開業歯科医院にそれぞれ4年間勤務した後ですので歯科医師となって9年目にワシントン大学に進学しました。

−   どのような経緯で留学の道へと進まれたのですか?

  • 口腔外科を辞め、アメリカへ旅行に行った際、先輩の伝でワシントン大学を見学する機会を得ました。その際に様々な国から集った歯科医師が熱心に臨床をしている姿を目にし、憧れを抱きました。また口腔外科に従事していた自分が一般歯科をやっていくためには、さらに何かを身につける必要があると強く感じていましたので、アメリカの専門医課程に進学しようと決意しました。

−   留学先の大学や科を選ぶ上で考慮されたことはありますか?

  • 補綴を専攻しようと思ったきっかけは、当時、お世話になっていた先生方が補綴出身であったこと、また言わば口腔外科と対極にある補綴を勉強する必要性を感じていたことが大きな要因です。大学選びに関してはアメリカの補綴大学院を卒業された先生にご協力いただき、幾つかの大学を見学させていただきました。そこで関係者と話をしたり、授業に参加させていただくことも出来ました。そのため具体的に大学の状況が把握でき、相手にも自分の存在を知ってもらえる良い機会となりました。さらには大学のある街の環境も知ることができたり、先の見えない受験準備に対するモチベーションも上がります。したがって志望校選びには実際に現地を訪れることは必須だと思います。受験に際しては複数校に出願し、試験を受けましたが、最終的には進学を目指すきっかけとなったワシントン大学の存在が自分の中で大きく、幸い合格することができました。さらにはシアトルという街が大変気に入ったことも理由の一つです。

 

−   留学中の学生生活はいかがでしたか?

  • それまで留学経験のなかった自分にとって大学院生活は当初、過酷でした。やはりうまく操ることの出来ない英語はいつも障害となり、大人の中に紛れ込んだ幼稚園児といった感覚でした。しかし憧れの場所での学生生活はとても有意義で、年齢、出身など多様な背景を持った人たちとの大学院生活は刺激的でした。補綴専門医課程は3年課程で臨床が6割、授業が3割、研究が1割といったところでしょうか。臨床では局所的な補綴治療は少なく、全顎にわたるものが中心でした。フルマウスのケース、デンチャー、インプラントなど最低限やらなければならない症例が決まっており、それらが終わらないと卒業できません。とくにフルマウスのケースでは矯正が絡んでくるようなものでは時間がかかり、補綴の大学院生はオンタイムに卒業することはまれで各々バラバラに卒業して行きます(私はかなり長居した方ですが)。補綴ですので技工もたくさんやりました。みんな治療が終わると夕食に出かけ、戻ってきて夜中まで技工なんていう生活が当たり前でした。でも夜な夜な治療の話をしたり、たわいない話をしながら技工をするのはなかなか楽しいものでした。またワシントン大学ではいわゆるinterdisciplinary treatmentという考えが徹底していて、ペリオ、矯正、エンドの大学院生と連携して治療を行ったり、合同カンファレンス、授業があったりと他の分野も勉強する機会が多くありました。その中で各学期(4学期制)に数回ずつ、治療計画、治療経過などを各大学院生、教員、大勢の前でプレゼンテーションするのですが、これもビッグイベントで、スライドや資料を作る、論文を読んで理論的にプレゼンを進める、質問に備えるなど大変苦労しました。勉強以外では仲間や教員とパーティーをしたり、食事に出かけたり、大学のスポーツチームであるハスキーズのフットボールやバスケットの試合を観に行ったりしました。美しく広大なキャンパスを持つワシントン大学では、まさにアメリカの学生といった経験も多くしました。

−   週末の過ごし方など、何かエピソードをお聞かせください。

  • 1、2年生の時には毎週月曜日の朝8時から論文レビューのクラスがありました。毎回15前後の論文をレビューするわけですが、読むだけでなく、それらを評価し、意見を述べなければなりません。担当教員が厳しくて有名な人で、曖昧なことを言ったり、読んでいないことが分かると厳しく追及され、時には涙する学生がでるという名物の授業でした。アメリカ人のクラスメートもナーバスになるような授業でしたので当然、私は大変な思いをしました。大学は土日休みですが、土曜日の午後から日曜日の深夜までそのことに時間を費やしました。毎日少しずつやろうと何度も試みましたが、臨床、他の授業、さらには技工をやらなければならず、結局は週末にまとめてやるしかありませんでした。したがって最初の2年間はなかなかゆっくりと週末を過ごすことは出来ませんでした。しかし時間があるときには家族(妻、息子2人)でイチローのいたマリナーズの試合を観に行ったり、隣のオレゴン州にあるポートランド、国境を超えてカナダのバンクーバーまで遊びに行きました。またワシントン州、シアトルは自然豊かな所ですので動物を見に行ったり、ドライブすることも楽しみでした。

−   これから留学を志す若手歯科医師へ、メッセージをお願いします。

  • 私にとってアメリカの専門課程に進学するということは、歯科医師としてのレベルを向上させるための手段でした。日本の歯科レベルは世界的に見ても高いところに位置していると思いますし、優秀な方も多く、そこでレベルを向上させることは十分できると思います。しかし日本を離れ、アメリカに行くことで身につけること、発見できることがたくさんあります。思想、教育、文化などといった点からも日本とアメリカは大きく異なると思います。海外で勉強しようと決心しているのであれば、先ずは日本で出来ることをしっかりやり、合格すること、そして専門医課程を修了するなど明確な目標を立て、努力によって達成してほしいと思います。もっとも大切なのは証書ではなく、その目標を達成するまでの努力とその結果得られる大きな自信で、それらはこれからの歯科医師としての人生で壁にぶつかった時に自分を奮起させてくれる大きな力となってくれることと思います。